2006年 12月 10日
夜の果てへの旅 |
ようやく完読。1ヶ月以上かかってしまった。
そこまで差異はないものの、生田耕作の訳は上巻180ページぐらいまでということを、読み終えてから知り、確かにわからないでもない部分はあり、納得する。
「どこへ行ったところで人生暗澹」と、調子よく毒づく姿勢は変わらず、ペシミズムの色濃く表れた作品であった。
絶望の中で、人生や世界の悲惨であることを認識して、その中でどのように希望をもって生きていくか。こういった思考の余地を与えない。
そんな希望をもって、正に世界各国、様々なところに移りゆく旅を続けたところで、結果として幸福なんてどこにもなかったんだ。これを吐き捨てるように言いたいのだ。
かといって、死んでしまえば楽になるかを問えば、「頑としてゆるがぬ思想。この世の何ものよりも強力な思想」これを自分で作り出さねば、本当に失敗作の人生で終わるだけ。しかし、それを獲得するにはどれぐらいの時間が必要なのか。世界の、人生の地獄図を見渡してきた主人公バルダミュをして、そこまで遠くへの旅には出られていなかったのだ。何たる現実、何たる絶望。
結局何をしたところで、失敗作であることを自覚しながら死んでいくか、発狂するなりしてそれを認識できぬようになって死んでいくかの差しかない、と。
『地球は死んどるんだ!われわれはその上を這い回る蛆虫にすぎん。地球のでっかい、いやらしい屍にたかった蛆虫さ。年中そいつの贓物を、腐れ物ばかり食わされとる…どうにもならん連中さ。生まれつき腐りきっている…挙句の果てがこのざまさ!』
こういったフレーズの応酬が耐えられなければ、気分が悪くなるだけだろうが、これをして「何て巧いことをいいやがる!」と同調できるようであれば、もしくは若干の興味が沸くようであれば、是非読んでみることをお薦めする。
悲憤慷慨する、それ自体が馬鹿らしいのです。
そこまで差異はないものの、生田耕作の訳は上巻180ページぐらいまでということを、読み終えてから知り、確かにわからないでもない部分はあり、納得する。
「どこへ行ったところで人生暗澹」と、調子よく毒づく姿勢は変わらず、ペシミズムの色濃く表れた作品であった。
絶望の中で、人生や世界の悲惨であることを認識して、その中でどのように希望をもって生きていくか。こういった思考の余地を与えない。
そんな希望をもって、正に世界各国、様々なところに移りゆく旅を続けたところで、結果として幸福なんてどこにもなかったんだ。これを吐き捨てるように言いたいのだ。
かといって、死んでしまえば楽になるかを問えば、「頑としてゆるがぬ思想。この世の何ものよりも強力な思想」これを自分で作り出さねば、本当に失敗作の人生で終わるだけ。しかし、それを獲得するにはどれぐらいの時間が必要なのか。世界の、人生の地獄図を見渡してきた主人公バルダミュをして、そこまで遠くへの旅には出られていなかったのだ。何たる現実、何たる絶望。
結局何をしたところで、失敗作であることを自覚しながら死んでいくか、発狂するなりしてそれを認識できぬようになって死んでいくかの差しかない、と。
『地球は死んどるんだ!われわれはその上を這い回る蛆虫にすぎん。地球のでっかい、いやらしい屍にたかった蛆虫さ。年中そいつの贓物を、腐れ物ばかり食わされとる…どうにもならん連中さ。生まれつき腐りきっている…挙句の果てがこのざまさ!』
こういったフレーズの応酬が耐えられなければ、気分が悪くなるだけだろうが、これをして「何て巧いことをいいやがる!」と同調できるようであれば、もしくは若干の興味が沸くようであれば、是非読んでみることをお薦めする。
悲憤慷慨する、それ自体が馬鹿らしいのです。
by jasum_fjo
| 2006-12-10 22:47
| 本・映画