2006年 11月 09日
波動 |
人の感情には揺れがある、ぶれ程度であろうとも。
Y軸、正の方向に感情の健康さだとか勢いだとかの陽エネルギーを定義して、X軸に時間をおく。その軌跡は当然ながら単純な比例線とはならず、X=0の地点におけるYの値、つまりは切片の値を上下する波の形状を示す。波は一定の振幅ではなく、あらゆる外的要因、図表に表されないN次元の力、その力が人間性という複雑な関数を経由して値を定める。この人間性というモジュールは極まりなくブラックボックスで、ある輩は残酷な事象をして、値を負へと導けば、強烈な陽エネルギーへ変化せしめる輩もいる。同じ事象を渡してもX軸が異なれば、全く違った値を返す、信用のおけない関数である。漠然とした方向性は見えても、気紛れが当然として存在するからいけすかない。
さて、視点を変えれば、この波の中心線は切片からずれゆくことはないのか、という疑問は当然ある。また振幅が大きすぎて波として捉えられないものもあろう。後者は「躁鬱」で片付けられ、前者は緩やかな範囲で可能な現象で、実存可能な形状である。よくできているもので、通常波に対しては、反発は正しく作用するものだ。ただし、その主軸の緩やかなぶれは、慣れを養い、その傾きがいずれ正しい在り方に変わる。注意すべきはこの傾斜は、負の方角に発生しやすい点である。
切片について考える。これは人間性とは異なり、先天的に定められし値である。いくら振幅が大きかろうと、出発点が異なれば、到達しようのないところは当然あるし、届かせようと幅を広めれば、その揺り返しもひどくなる。
さて干渉しえない二つの波があって、それは、互いに波があることは認識できても、その波を理解しえることは可能だろうか。ひどくむつかしい気がする。複雑でブラックボックスな関数を理解し、その上でN次元から寄せられる波を判別しなければならないからだ。概要を把握するのが関の山で、それで十分な理解といえるかもしれない。
万人と自分、否、他人同士でその波が接点をもつということが、当然のように思われている気がしてならなくて、腑に落ちない。
たまたま接点のない波だからわからないのではなく、もともと接している波などない、という定義。そして、概要を捉えたのみで理解したことにするという欺瞞の蔓延。そっちの方がしっくりくる。
感情の揺れをテーマに波はうねって今いずこ。
幸いなことに人間には、知識欲があるおかげで、そうと気付きながらも遮二無二追っ掛けるのかもわからない。
車を運転するのに、内部構造を理解する必要はない?解らぬものを「自分には解らない」と開き直るのは逃げですよ?
おっしゃる通りでございます。あー、スーパーひたち長ぇ。よいオチも見つからぬまま、面倒だから、えいやで掲載。
Y軸、正の方向に感情の健康さだとか勢いだとかの陽エネルギーを定義して、X軸に時間をおく。その軌跡は当然ながら単純な比例線とはならず、X=0の地点におけるYの値、つまりは切片の値を上下する波の形状を示す。波は一定の振幅ではなく、あらゆる外的要因、図表に表されないN次元の力、その力が人間性という複雑な関数を経由して値を定める。この人間性というモジュールは極まりなくブラックボックスで、ある輩は残酷な事象をして、値を負へと導けば、強烈な陽エネルギーへ変化せしめる輩もいる。同じ事象を渡してもX軸が異なれば、全く違った値を返す、信用のおけない関数である。漠然とした方向性は見えても、気紛れが当然として存在するからいけすかない。
さて、視点を変えれば、この波の中心線は切片からずれゆくことはないのか、という疑問は当然ある。また振幅が大きすぎて波として捉えられないものもあろう。後者は「躁鬱」で片付けられ、前者は緩やかな範囲で可能な現象で、実存可能な形状である。よくできているもので、通常波に対しては、反発は正しく作用するものだ。ただし、その主軸の緩やかなぶれは、慣れを養い、その傾きがいずれ正しい在り方に変わる。注意すべきはこの傾斜は、負の方角に発生しやすい点である。
切片について考える。これは人間性とは異なり、先天的に定められし値である。いくら振幅が大きかろうと、出発点が異なれば、到達しようのないところは当然あるし、届かせようと幅を広めれば、その揺り返しもひどくなる。
さて干渉しえない二つの波があって、それは、互いに波があることは認識できても、その波を理解しえることは可能だろうか。ひどくむつかしい気がする。複雑でブラックボックスな関数を理解し、その上でN次元から寄せられる波を判別しなければならないからだ。概要を把握するのが関の山で、それで十分な理解といえるかもしれない。
万人と自分、否、他人同士でその波が接点をもつということが、当然のように思われている気がしてならなくて、腑に落ちない。
たまたま接点のない波だからわからないのではなく、もともと接している波などない、という定義。そして、概要を捉えたのみで理解したことにするという欺瞞の蔓延。そっちの方がしっくりくる。
感情の揺れをテーマに波はうねって今いずこ。
幸いなことに人間には、知識欲があるおかげで、そうと気付きながらも遮二無二追っ掛けるのかもわからない。
車を運転するのに、内部構造を理解する必要はない?解らぬものを「自分には解らない」と開き直るのは逃げですよ?
おっしゃる通りでございます。あー、スーパーひたち長ぇ。よいオチも見つからぬまま、面倒だから、えいやで掲載。
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by jasum_fjo
| 2006-11-09 20:34
| 平時